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◆ ゲームとリアルリアリティ

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「リアリティ」という言葉がある。
周知の通り、その意味は「現実性」「現実らしさ」と言ったところ。
しかし、文学やエンターテインメント作品に関わる議論において、この「リアリティ」という単語は必ずしも一意と言い切れるわけではないようだ。




以下は単なる例えだが、こういう発言を聞いたことがないだろうか?

特殊な閉鎖空間(建物や船など)が悪者に乗っ取られた。
たまたまその場に居合わせた1人のごく普通のコック(白人)が、最終的に彼らと戦って勝利する。
訓練も受けていない料理人が、軍人や傭兵を相手にして互角以上に戦えるわけがない。
ゆえにリアリティが無い。
名探偵は旅行に出かけると必ず旅先で殺人事件が起こる。
これは確率から考えても非常におかしい。ゆえにリアリティが無い。
1人の家政婦が殺人事件などに首を突っ込み、最終的には警察を出し抜いて解決する。
そんな人間がいるわけが無い。ゆえにリアリティが無い。
主人公やヒロインがピンチに陥ると、ちょうど良いタイミングで必ず助けが入る。
確率や状況から考えてもリアリティが無い。
ファンタジー作品は空想である。ゆえにリアリティは存在しない。

何か違和感を覚えないだろうか?
確かに、一見すれば彼らの主張は当然のようにも思える。
だが、これらに何か反駁したくなる気持ちも決して嘘ではない。
つまり、これが「リアリティ」という単語から受け取るイメージの違いである。

色々悩んだ末、辿り着いた結論が1つ。
自分の拙い語彙では、これを的確に表現するのは難しいのだが、要は、「リアル」という言葉の中には「ノンフィクション」と「説得力」という2つの意味合いが含まれているということではないだろうか。
先述の例えも、「リアリティが無い」というところを「ノンフィクションならおかしい」というようなフレーズに置き換えてみれば、なるほど納得できる。


以前、SF作家の山本弘先生が、著書の中で「リアリティ」についておっしゃっていたことがある。
ただ、その記述を見かけたのが幾分昔で、かつその著書を自分が所有していないという状況ゆえに引用することは出来ない。
おそらくは「と学会」名義の「トンデモ本」シリーズのどれかだったと思う。
しかし、これらも大半が共著であるゆえ、全くの勘違いである可能性も大きい。
もし、詳細や間違いがあれば、コメント欄にでもその旨を書いて頂ければ幸いである。

自分の記憶が正しいと仮定して、氏の話はこうだ。
  • フィクション作品にも「リアリティ」は必要である。
    フィクションだからと言って、「リアリティ」の無いストーリーが許されるわけではないということらしい。
    確かに、フィクションである推理モノにおいて肝心の密室殺人のトリックが「超能力で」「魔法で」では破綻してしまう。

  • ノンフィクション作品は、ノンフィクションであること自体が「リアリティ」に繋がっている。
    事実を元にしている以上、そこには燦然と「リアリティ」が輝いているのは当然だ。

  • フィクション作品はノンフィクション作品以上にリアリティが必要である。
    説得力の無い嘘はすぐに相手にバレてしまうだろう。
    それと同じように、フィクション作品を稚拙なものではないように見せかけるには、それなりの「リアリティ」が要るということか。

つまり、ここで言う「リアリティ」というのは「事実かどうか」ではなく、あくまで「説得力」ということだ。



前置きが長くなってしまったが、これはおそらくゲーム全般、コンピュータゲームやTRPGのマスタリングにも言えることなのだろう。

自分はほとんどTRPGでGMをしたことが無いので詳しくは触れないが、行動に意味の無い/一貫性の無いNPCや伏線の無い唐突な展開などが、説得力を欠いたシナリオに当てはまるだろう。
ある時は敵側、またある時は味方として登場するも、結局自分が不利になっているだけのキャラクターなんていうのは、プレイヤーとして見ていても何がなんだか分からない。
リアリティを持たせるなら、実は裏に何らかの大いなる目的があるとか(つまり敵や味方を利用しているだけ)、状況を見て有利な勢力に荷担しているだけとか(これは小悪党のパターン)、色々と考えなければならないだろう。
苦労してるんだなあ。


この場合、「リアリティ」という言葉には新たな意味が付加される。
すなわち「シミュレーション性」「再現性」といった要素である。

再現性の高いゲームと言えば、筆頭はやはり実機シミュレーションゲームだろう。
これらはドライビングシミュレータやフライトシミュレータにゲーム性を加味したものだ。
電車でGo!のようなゲームや、自動車レースゲームなどを想像していただければ良い。
もちろん、「実機」というのは便宜上の呼び名であり、その乗り物が実在するかどうかは関与しない。

実機シミュレーションゲームでは、出来る限り物理法則などに近いことが要求されることが多いだろう。
ノンフィクション作品の持つ揺ぎ無き「リアリティ」に近いものがある。


再現性が高ければゲームは面白いのか?
答えは否である。

例えば、再現性だけを追求していたのでは、ゲームとしてのプレイアビリティを損なってしまう可能性がある。
このあたりをどう克服できるか、どこで折り合いをつけるかが優れたゲームデザイナーなのだろうが、少なくとも、管理すべきリソースが大量かつ複雑になりすぎてプレイ不能になってしまっては本末転倒だろう。
一部のアナログゲームファンは、この状況をリアルリアリティと呼んだりするらしい。
(ちなみにリアルリアリティの語源は、超先生こと故・青村早紀氏の名言から。感感俺俺とか。)

マリオのようなアクションゲーム、shmups(shoot'em up)やshooterとも呼ばれる(日本で最も一般的な)シューティングゲームは、はっきり言って再現性という観点から見れば赤点ばかりだ。
人間が器械も無しにあんなに高く飛び上がれるわけが無いだろうし(あのミスターサタンですら人間を飛び越えるのが精一杯である)、戦闘機があんなりリズミカルに動くわけもない。

しかし、再現性は低くとも、「リアリティ」は決して低くない。
嘘なら嘘で、それなりの説得力が与えられているのだ。


ゲームとは、シミュレーションとアブストラクション(抽象化)によって構築された「箱庭」なのかもしれない。
しかし、そこには必ず何らかのルール……すなわち「リアリティ」が働いているのだ。
R.F.D. | by odprfd | 2006-05-31 23:30 | 批評&感想

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